武藤 太郎 (むとう たろう)のプロフィール

武藤 太郎 (むとうたろう)

武藤太郎。1978年静岡生まれ。

20代

通信業界(インターネットや携帯電話)の黎明期に都内の大手量販店にて携帯電話の店頭販売員を務める。

「デジタル商品をアナログに伝えることで暮らしは変わる」をモットーに従事。

営業のスキル向上のための武者修行に選んだのは訪問販売。(40万円ほどの高価格掃除機)

規定数以上の売上を上げ続け、入社半年かからず係長に昇進

「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。ならば水辺に正しく導いて飲みたくなるようにするのが営業の仕事」と思い至る。

訪問販売という業態の可能性と自信の理念の相違から退職

次なる活躍の場を求めて、再び東京に戻り大手量販店にてチームを率いて販売戦術の構築や育成に邁進する。

徹底的にお客様の視点でものを考えるくせが体に染み込むようになったのはこの頃。

圧倒的な客数と物量を現場で体験することで、PDCAを高回転で行うことが出来た。

結果、販売店の展示展開における理論を独自に確立し、その後あらゆるジャンルの展示改善の助言を求められるようになる。

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「導線は目と体、変えられるものと変えられないものがある。」

「売り場は舞台、役者たる販売員が活きる装置たれ。役者は舞台を理解して立ち回りを練習すべし。」

「派手にすれば目立つってもんじゃない。気を引ければ目立たなくたって良いんだ。頭を使え」

「販売は情報が命。ヒアリングはもちろん、観察を怠るな」

「お客様の立場で考えられるかどうかは、お客様になりきれるかどうか」

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などが当時の口癖。

30前後

その後イー・アクセス(現在のワイモバイル)に中途入社。人生の大転換期となる。

「出来ない理由、やらない理由は言わない言わせない」を叩き込まれる。

1対1の販売接客だけでなく、1対多数のプレゼンテーション型販売について試行錯誤を繰り返し研究。
(ジャパネットたかたのテレビ番組や、落語、ディズニーランドの話術などをコピーできるまで研究)

これにより販売店における一括集客販売スキームを確立。

この頃出会ったお客様に
「兄ちゃん、35歳が目標や。そこまでに自分の身の振り決めるつもりで仕事に精を出しや。そこまでがまずは勝負と思っといたら、その後が変わるから」
と言われ、なんだか忘れられない。

テレマーケティングチーム創設にあたり、チームリーダーとして配属

電話営業は初の試みでありながら、リストカテゴリ分析やトークスクリプト(台本)の分析を繰り返し検証。

自身のトークスキルを徹底的に分析することになる。

「小手先のテクニックや物量に頼ったテレマは絶対にやらない。ちゃんと喜んで貰える仕事は電話でも出来る」がチームの理念。

併せて、コールセンタースタッフを
「人として信頼される営業マン」にすべく育成業務を開始。
(後に育成チームに在籍したメンバーからむとう塾と呼ばれるようになる)

総勢5人で立ち上がったテレマーケティングチームは、およそ半年程度で億単位の売上を上げ200名近いチームに急成長。

代理店法人営業にて音楽と映像の配信サービス事業者と協業、またジャパネットたかたコールセンターの分析にも携わる。

必死に勉強してきた高田社長(当時)に出会えて感激。

「とにかく目の前のことを一所懸命やることが全て」
に感銘を受けてひた走る。

そうこうしていうるうちに35歳。

自身のチャレンジを実現させるため、両親の営む静岡県掛川市の会席料理かちゃ料理むとうを継ぐ。

思考基地(しこうきち)
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